区制誕生から現在まで。写真で振り返る90年の渋谷区史。

2022.12.14

悠久の昔、ナウマンゾウも闊歩していた渋谷。約3万年前から人が暮らし始め、かつてはのどかな農村地帯が広がるエリアだった。その都市化が進んだのは明治末期から。鉄道網の発展に伴い都市化が進み、大正時代に入るとサラリーマン人口が増加。そして1923年の関東大震災による都心部からの人口流入と、私鉄の開通により、住宅地化に拍車がかかることになる。

1930s 渋谷区制施行

1932年10月1日。渋谷町、千駄ヶ谷町、代々幡町が合併し、東京市渋谷区が誕生。東京市は35区に変貌を遂げた。渋谷区は交通網の発達に伴い住宅地区として発展し、当時の人口は22万3,573人。1936 年に現在の神南1丁目の旧電力館付近に区公会堂を併設する渋谷区庁舎が完成。1934年4月には渋谷駅前に忠犬ハチ公像が設置。

© 渋谷区郷土写真保存会

1940s 終戦後の変化

太平洋戦争が終わると、陸軍の代々木練兵場だった場所(現在・代々木公園一帯)に、ワシントンハイツと呼ばれる住宅が建設される。アメリカ軍の将校とその家族が暮らすための住宅が並び、学校、教会、劇場などもあった。また周辺にはアメリカ人向けの商業施設が増え、表参道のまわりには感度の高い人々が集い、異国情緒漂うエリアへと発展していく。

© 渋谷区郷土写真保存会

1950s 渋谷駅ターミナル化

渋谷初の百貨店・東横百貨店と、玉電ビル(旧・東急東横店西館)の屋上間を折り返して遊覧を楽しめる空中ケーブルカー「ひばり号」が運行。期間は1951年からわずか1年半ほどだったが、子どもたちに人気を博す。池袋・ 渋谷間を結ぶトローリーバスの路線が1955年に開通。

© 白根記念渋谷区郷土博物館・文学館(赤石定次撮影)

1960s オリンピックと都市開発

1964年の東京オリンピック開催に合わせて、 ワシントンハイツが日本に返還される。それと ともに選手村と国立代々木競技場、国際放送
センターとして、のちの NHK 放送センターも 建設され、現在の代々木公園の全貌が姿を現 す。渋谷区内ではさまざまなオリンピック主要会場が整備され、渋谷の街の開発が加速する。

1970s 玉川上水の緑道化と 京王新線の開通

甲州街道沿いに広がる笹塚・幡ヶ 谷・本町・初台などの渋谷区北側 のエリアでは、’73年から ’79年に かけて玉川上水旧水路緑道整備が 進み、’78年には京王新線が開通。 水道道路道沿いでは平家だった都 営住宅が鉄筋コンクリート造に建 て替えられた。

© 京王電鉄

1980s 盛り上がる渋谷系カルチャー

パリ市6区と文化交流協定が締結され、’85年から東京国際映画祭がスタート。2003年 までは渋谷のみで開催されていた。渋谷エリアの映画館やホールが会場となり、’89年に Bunkamura がオープンすると映画の街・渋 谷という文化が復活。以降、先鋭的な作品や 館独自の色を持つ、いわゆるミ二シアター文 化が渋谷を中心に広まる。

©1987 TIFF

1990s 恵比寿の発展

サッポロビール工場跡地の再開発事業として、’94年に恵比寿ガーデンプレイスが開業。オフィスビル、商業施設、レストラン、集合住宅、美術館などで構成された一大複合施設の誕生で恵比寿が一躍“トレンディ”な街として若者たちの人気エリアに。ビール出荷のための小さな貨物駅だった停車場から「恵比寿駅」となり、地名もこれに由来する。

©サッポロビール株式会社

2000s イルミネーション復活

’91年~’98年まで毎冬開催され、冬の風物詩となった表参道けやきの木のイルミネーション。歩道が大渋滞を起こすほどの人気を博した。木への負担や見物客に対する周辺住民の不満などから長い間中止されていたが、2009年に復活。 63万個の電飾でライトアップされ、電球はLEDに新調。取り付け方法や環境への配慮も改善された。

2010s 進む、都市開発

渋谷駅周辺の再開発が進み、周辺景色が一変。文化総合センター大和田が開設し、渋谷で40年以上親しまれた「五島プラネタリウム」の思いを引き継ぐプラネタリウムが復活。東急文化会館跡地には渋谷ヒカリエ、東横線跡地には渋谷ストリームなどが開業。また毎年8月には渋谷109前に櫓が立ち、「渋谷盆踊り大会」が渋谷の夏の風物詩となる。

2020s より便利な
渋谷駅を追求

’09年より駅移築工事が進められていた銀座線渋谷駅の新駅舎がついに完成。明治通りの頭上に鋼製M型アー チ状の近未来的な駅舎がお目見えした。地下から地上へ吹き抜け空間のアーバン・コアが整備され、東京メトロ銀座線ホームの屋上に宮益坂から道玄坂までをつなぐ空中回廊の完成も控えている。

© 吉田誠