【原宿・表参道エリア】常にエキサイティング。 通りの賑わいが、独自のカルチャーに。

2022.10.6

歴史の変遷とともに地域ごとの特色が育まれてきた渋谷区の魅力を、6つのエリアに分けてお届け。通りの賑わいが独自のカルチャーとして発展してきたのが、原宿・表参道エリア。多様性を受け入れ、異なる価値観を楽しむ地域性が、次々に流行を生む力となっている。

開通当初から車幅は同じ。大通りに植樹されたケヤキは計200本。
山の手大空襲で焼け野原になったが復興。緑の豊かさは、昔も今も変わらない、通りの原風景。

江戸時代以前、田園風景が広がるのどかな地域だった。

〝原っぱの中の宿場〞が地名の由来となった〝原宿〞は、表参道と共に神宮前エリアの汎称地名として親しまれている。

戦後は、このエリア一帯は連合国軍総司令部の占領下だった。昭和21年、米軍向け集合住宅「ワシントンハイツ」(現・代々木 公園周辺)が建設されると、そこへ向かうメインストリートである表参道には、トイショップや土産店など、米国人向けの小売店が続々とオープン。

この地域の欧米化は、昭和39年に開催された東京オリンピックの影響によってさらに加速する。海外の情報を求めて、感度の高い人々が集い、〝ちがい〞を魅力的な個性として楽しむカルチャーの基盤が育まれていった。

そして、その発展に大きく貢献したのが、通りの存在である。若者たちが個性的な身なりを発信するランウェイと化した「表参道」、裏原ブームの本拠地となった「キャットストリート」、KAW AII文化の聖地となる「竹下通り」。通りの賑わいが独自のカルチャーを後押しし、国内外から人が押し寄せる流行発信地としての歴史を積み重ねていった。

流行の最先端がここに。時代を超え花めく大通り。

表参道Omotesando Street

大正9年、明治神宮の参道のひとつとして開通した、表参道。’50年代後半には、米軍向けの集合住宅「原宿セントラルアパート」が竣工し、日本の文化人が住み始め若者たちが憧れる通りに。

アジアンな装いに身を包んで踊る、通称、タケノコ族。

カメラマンやコピーライターが住んでいた「原宿セントラルアパート」。1Fの喫茶店「レオン」が溜まり場に。

渋谷川の上に造られた、裏原系誕生のステージ。

旧渋谷川遊歩道 (キャットストリート)Cat Street

明治通りと並行に走る、全長約1キロの遊歩道。表参道にまたがり、原宿と渋谷を結ぶ。きれいに舗装されたのは、昭和42年のこと。諸説あるが、遊歩道沿いに猫が多く住み着いていたことが、通りの名の由来とされている。

元祖、裏原系ショップ。デザイナー・藤原ヒロシ氏が開業をサポート。

ローラー族の聖地「クリームソーダ」の店員がバンドを結成。

“KAWAII 文化”が生まれた、原宿の玄関口。

竹下通りTakeshita Street

明治通り沿いにあった複合ビル「パレフランス」が開業した昭和49年が、竹下通りが商店街として歴史をスタートさせた元年とされる。東京観光の定番スポットのひとつとして、世界中から脚光を浴びる。

老舗「マリオンクレー プ」をはじめ、竹下通 りはスイーツショップ が多いことでも有名。

スナップ誌に載るため 回遊するカラフルな服 装の若者が続出。KAWAII 文化の源流。