【恵比寿、代官山、広尾エリア】江戸・昭和・平成の風情を残す 街並みを知るキーマンに密着!

2022.11.30

おしゃれで洗練されたイメージのある、この地域。商業、文化、そして都市開発と、さまざまな要素が重なり合って現在に至る。旧山手通りや東京メトロ日比谷線といった都市のインフラ整備も、歴史を紐解くと、先人たちが額に汗してきた姿が浮かび上がってくる。過去を知り、現在に語り継ぐ、街のキーマンたちにそれぞれの街の生い立ちを伺った。

EBISU HISTORY
ビール用貨物駅として栄えた、恵比寿。

江戸時代、現在の恵比寿駅 周辺は渋谷川と三田用水に挟まれた農村地帯で、下渋谷村と呼ばれていた。宇和島藩伊達家の屋敷があったことから「伊達坂」 といった地名が今も残る。1901 年、日本鉄道の貨物駅として恵比 寿駅は開業。現在は4つの路線が乗り入れ、メディアが取り上げる「住みたい街ランキング」の上位に常に名を連ねる、便利で住みやすい街としても知られる。

商店街には新店と老舗が並び、常に賑わいが。

お話を伺いました

高橋賢次さんKenji Takahashi

恵比寿新聞編集長

1975年生まれ。ウェブマガジン 「恵比寿新聞」を2009年に立ち上 げる。行政や企業と連携し、地域密着のメディアを運営。

お酒とお祭りが、恵比寿の原風景。

僕は恵比寿に住み始めて約20年経ちますが、 日々実感するのは人と人との距離の近さ。道を歩いているとご近所さんに、「今日おしゃれね、デート?」と声をかけられたり、飲み屋に行くと知り合いがどんどん増えたり、と下町的な人間模様が残っているんです。ほかにも、べったら祭りや、日本最大規模の恵比寿駅前盆踊りと、酒と祭りがこの街の暮らしの中心にある。こういった恵比寿らしさに密着し続けて、回覧板のように情報を届けるのが、僕が取り組む「恵比寿新聞」の役目なのかなと思っています。

高橋さん的・ 恵比寿を紐解くキーワード1

名所、ビール坂祭り。

例年10月に開催。キックボクシングジム・バンゲリングベイ恵比寿本店の方々が披露するジャイアントスイングが恒例行事に。

高橋さん的・ 恵比寿を紐解くキーワード2

名物のまくらは絶品。

注文は一回にまとめ、飲み終えたら店を出る。それが「とよかつ」 のローカルルール。名物のまくらは、豚ひき肉にニラを巻いたもの。

高橋さん的・ 恵比寿を紐解くキーワード3

べったら市。

江戸中期から続く、宝田恵比寿神社周辺で開催される祭り。大根を麹と砂糖で漬け込んだべったら漬けの屋台がずらりと並ぶ。

高橋さん的・ 恵比寿を紐解くキーワード4

各地の日本酒を堪能。

日本酒バー「GEM by moto」。店長の千葉麻里絵さんは、「清酒官能評価者」という口にしたお酒の原料・成分が分かる講習を修了。

DAIKANYAMA HISTORY
水戸徳川家も惚れた、代官山。

関東の大半が海に覆われていたとされる縄文時代、代官山はすでに陸地だったと言われている。高台に位置し、その見晴らしの良い土地柄から、江戸時代には多くの武家屋敷が建てられた。戦後は焼け野原だった場所に代官山ヒルサイドテラスができ、大使館が建設される。1980年代後半から年代にかけてアパレルショップが次々に出店し、おしゃれで文化的な街として広く知られるように。

代官山駅は1927年東京横浜電鉄の駅として開業。

お話を伺いました

朝倉健吾さんKengo Asakura

朝倉不動産株式会社代表取締役

1941年、代官山生まれ。ヒルサイドテラスオーナー、渋谷区文化芸術振興推進協議会委員、代官山のまちづくり活動に長年携わる。

ヒューマンスケールな文化拠点へ。

時代とともに街が近代化する中で、経済的な取り組みだけで街を活気づけるのではなく、自分たちが素朴でいいなと思うものが増えていくことも大切だと感じています。いつ遊びに来ても、おいしいものが食べられて、いい音楽が聞こえてくる。そんな街を残していきたい。

朝倉さん的・代官山を紐解くキーワード1

代官山のオアシス。

「代官山蔦屋書店」がある場所は、もともと水戸徳川家の屋敷があった。緑を残し、街の魅力を損なわず新しい価値をもたらす名所に。

朝倉さん的・代官山を紐解くキーワード2

渋谷が誇る重要文化財。

大正時代に建てられた、「旧朝倉家住宅」。朝倉家一族が暮らし、 敷地内に流れていた三田用水を利用してこの地で米店を営んでいた。

朝倉さん的・代官山を紐解くキーワード3

代官山ヒルサイドテラス。

1969年にA棟、B棟が竣工。1998年には、ヒルサイドウエストが完成。30年の歳月をかけて形づくられてきた、名建築として知られる。

朝倉さん的・代官山を紐解くキーワード4

煌びやかな旧山手通り。

「朝倉虎治郎が旧山手通りの道幅を決めたらしい」と朝倉健吾さん。その道幅の広さが、後の代官山の興隆を支えることになる。

HIROO HISTORY
ハイカラ文化の発信地、広尾。

浮世絵師、歌川広重作の「名所江戸百景」にも描かれた江戸時代の広尾の風景。当時は、辺り一帯が広大な原っぱだった。明治以降、点在する武家屋敷跡の多くは各国の大使館に変わり、現在の国際色豊かな広尾を形成するベースとなった。1964年には、帝都高速度交通営団日比谷線の霞ヶ関駅〜恵比寿駅間の開通と同時に広尾駅が開業。これが、街の発展にさらに拍車をかけた。

広尾橋交差点が広尾散歩通りの入口。

お話を伺いました

磯野計一さんKeiichi Isono

磯野不動産 代表取締役社長

1944生まれ。明治屋第6代社長の ほか、日本加工食品卸協会副会長、全国卸売酒販組合顧問などを 歴任。2012年12月より現職。

磯野家4代にわたる、広尾の街づくり。

広尾には、有栖川宮記念公園の自然 をはじめ、学校、病院、大使館などの街の資産が揃い、商業や不動産の観点から、この街を盛り上げてきました。そういった街との長い関わりの中で我々が感じてきたのは、広尾の街と文化の中心には、常に人々の生活 に対する美意識があるということ。私の夢は広尾を日本一住みやすい街にすることです。

磯野さん的・広尾を紐解くキーワード1

今も残る、江戸の風情。

江戸時代初期までは下渋谷村の一部だった地域。1664年、町家の起立が許され渋谷広尾町が発足。現在の広尾エリアの源流に。

磯野さん的・広尾を紐解くキーワード2

知る人ぞ知る名物。

1分焼いて提供されるミニッツステーキは、フレンチ懐石「おくむら」の裏メニュー。バターの芳醇な味わいが魅力。

磯野さん的・広尾を紐解くキーワード3

四季折々の食を堪能。

広尾プラザ一帯を巻き込み実施される四季折々のフェア「広尾プラ ザ・シーズンフェア」は、磯野さん自身も交通整理に立つ。

磯野さん的・広尾を紐解くキーワード4

街が賑わう音楽イベント。

広尾プラザ2Fステージで定期開催される「OTO-YA HIROO」。グランドピアノの生演奏など、ジャズを中心に大人が音楽に酔いしれる。